鍵を首からぶら下げている友達がおしゃれに見えた子供の頃

私が小学生の頃、鍵っ子と呼ばれる同級生がクラスに何人かいました。
鍵っ子と言うのは、両親が共働きで子供が家に帰った時に鍵がないと家の中には入れないと言う子供が、学校に来る時に鍵を首からぶら下げて毎日登校をしてくる子供の事を言います。
私は首からぶら下げている鍵がおしゃれなペンダントに見えて友達が羨ましく感じることがありました。
学校なので洋服の中に入れて過ごしているのですが、遊んでいる時にちらりと見えるところがおしゃれに見えたのです。
こちらが羨ましいと思っていましたが、本人にとっては学校が終わって家に帰っても誰も迎えてくれないのです。
とても辛かったのだろうと思いますが、当時は私も子供だったせいかそのような事は考えもしませんでした。
友だちには私も鍵っ子の方がよかったと毎日にように言っていたのですが、怒りもせずに黙って聞いているだけでした。
私が逆の立場であったらきっと頭にきて何か言い返したに違いありません。
私は母は専業主婦ではないのですが家に毎日いて私が帰って来た時には玄関に出迎えてくれました。
それは母は私が学校から帰ってきても淋しくないようにと、会社勤めを辞めて家で働くことにしてくれたのです。
母は昔から洋裁が得意でしたので家では洋裁の内職をしてお金を稼いでいたのです。
私が帰ると必ず出迎えてくれ、おやつを用意してくれました。
このような事が毎日だったので小さかった私はそれが当たり前のことだと思っていたのです。
ある日母が病気になりしばらくの間入院した時があったのですが、物音のない家に帰った時の淋しさは何とも言いようがありません。
目から次々と涙が流れ出てきた事を覚えています。
そして私は、そのことがあってから鍵っ子の淋しい気持ちが分かったのです。
人間はやはり相手の立場になってみないと人の気持ちはなかなか分からないものだと、その時に心から感じたのです。
鍵っ子の淋しさを知らずに羨ましがって私も鍵っこの方がいいなどと言っていた私に、家に帰っても誰もいない淋しが分かるようにと神様がバツを与えてくれたのでしょう。
そして鍵っ子は、襟から見える紐がおしゃれでペンダントみたいにみえる鍵が、家に帰っても淋しくないようにと神様がくれたお守りだったのかもしれません。