現代生活では考えられないかもしれませんが、昔特に農村の生活では、昼間鍵をかけないで出掛けることは不思議ではありませんでした。
そうした地域は、住宅がそれほど密集していません。
家の周りには庭があり、田畑が広がっている場合がほとんどです。
また近所同士は交流や付き合いがあるので、お互いにどんな家庭かは概ね理解していたのです。
家は3世帯家族などが普通で、どんな時も家にはお爺ちゃんやお婆ちゃんなど、誰かが家にいることが多かったので、鍵はそれほど必要でなかったこともあるでしょう。
もちろん法事など全員が家を留守にする時などは、火の元を調べて最後に玄関の鍵を掛けるという状況はありました。
しかしそうした時でも、留守宅を近くの親戚や隣の人に頼むということは珍しいことではなかったのです。
40年位前のこと、私が住んでいた地方都市では、郊外に家を持つ知り合いのおばさんも、玄関の鍵を掛けないで出掛けていたのを見たことがあります。
私は「鍵を掛けなくてもいいんですか」と聞くと、「いいの、こんな田舎だし、何も取るものないしね」などと言って笑っていました。
ところが現代では違います。
都会はもちろん、どんな田舎の家でも鍵は掛けるのではないでしょうか。
都会のマンションでは、朝ゴミを捨てに行く時も、玄関の鍵を掛けるのは普通です。
家の鍵、車の鍵、自転車の鍵、金庫の鍵など、家族のメンバーそれぞれが自分の鍵の束を持つというのは普通の事になりました。
ひどい話になると、自分の部屋に鍵を取り付ける引きこもりの人もいるそうで、日本では考えられなかった状況まで出てきたのです。
こうした背景には、昔とは違った社会の変化が挙げられます。
よく言われるように、近所付き合いが薄れたために起こるコミュニティの崩壊です。
マンションでも、隣にどんな人が住んでいるかも知らないという恐るべき状況は、私たちの意識に決定的な変化をもたらしました。
お互い干渉しないという無関心、そしてお互いに対する不信感です。
鍵が必要になるのは当然のことと言えます。
鍵を持たねば生活できないのは仕方がないけれど、私は昔ののんびりした鍵のあまり必要ない生活が懐かしく思い出されるのです。